麺の誕生・歴史に想いを馳せるVol.2(コラム)

ラーメン聖人

2009年09月05日 10:27

《麺の誕生・歴史に想いを馳せるVol.1より続き》

小麦には、大麦にはないグルテン形成成分を含むことはご存知だろう。

やがて石臼が発達し、一般的になると小麦の製粉が容易になり、製パン技術などが確立すると主流は小麦に代わっていったのである。

( ^ ^ )

この頃、麦がいわゆるシルクロードを渡り、中国まで伝わっていくことになるのだ。

(* ^^ *)



[中華料理 李伯(大分市牧)]

小麦自体は日本にも弥生時代後期には伝わっていたらしい。

しかしながら、麺料理として確立されるのは遥かに先の話。

( ^ ^ ;)

中国では秦の時代(紀元前221年~206年)には大麦の粥が比較的普通に食べられていたという。

小麦の栽培が本格化したのは紀元前206年~期限後8年、前漢時代。

華北平野で小麦の栽培がおこなわれるようになると、それに比例し小麦食品も多彩をきわてくる。



[三久(日田市)]

中国では、「麺(麪)」は、「小麦」を意味する。

「餅(ビン)」は、小麦粉でつくって食べ物のこと。

調理法にしたがって「蒸餅」「焼餅」「油餅」「湯餅」と分けられる。

「蒸餅」は、セイロで蒸した料理。

焼売や饅頭、包子などをさす。

「焼餅」は、焼いた煎餅。

「油餅」は、揚げる麻花。

「湯餅」は、茹でたりスープで煮た物である。

この「湯餅」は、「麺片」「麺條」と分かれる。
初めは生地をちぎって平たく延ばしたもの(麺片)に具(餡)を包んで煮込んでいた。

ワンタンや水餃子といったスタイルだったのだろう。

( ^ ^ )

その後、生地を細長く伸ばしたもの(麺條)を具とともに煮込むといった方法が発達した。

!(b^ー°)

うどんやソーメン、ラーメンといった細長い湯餅のスタイルは、この麺條ということになる。

これが今日でいう麺料理の始まりとなるのだ。

( ̄ー+ ̄)v



[ニュー宝来(別府市)]

唐の時代になると二年三毛作農法により小麦の生産量が増大する。

また「碾磑(てんがい)」とよばれる水車製粉機の普及により小麦のコストが下がったのだ。

さらに、「醤」という発酵調味料が発達していったことでこの時代、麺料理はいっそうの発展をみせたようだ。

(* ^^ *)

うま味のであるこの「醤」(訓読み:ひしお)については、いろいろと調べたことがあるのだが、これはまた別の機会に書くとしよう。

( ^ ^ ;)



東洋軒(別府市)

唐が滅び、次に興った宋の時代(北宋 960~1127 南宋 1127~1279)、貨幣経済が成熟し商工業が活発に行われるようになった時代背景の中、麺料理はさらに大きく発展し定着していった。

《麺の誕生・歴史に想いを馳せるVol.3に続く》
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