麺の誕生・歴史に想いを馳せるVol.3(コラム)

ラーメン聖人

2009年09月05日 13:49

《麺の誕生・歴史に想いを馳せるVol.2より続き》

「ウドン」「ソーメン」「キシメン」といった小麦の麺條である。

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[山海楼(佐伯市)]

「ソーメン」は、「索餅」や「索麺」と呼ばれ、練った小麦粉を巻きつけた二本の棒を伸ばして線状にした、いわゆる「手延べそうめん」の作り方が日本でも平安時代の書物に記されている。

南北朝時代(1336年~1392年)には、「素麺」の文字が使われるようになっているところをみると、その歴史は古いものであろう。

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[天津(佐伯市)]

「ウドン」は、もともと具を包んだワンタンのようなもので「ホゥン飩(トン)」と呼ばれていたらしい。

唐の時代には、その後皮の部分を広げ刃物で切って線状にし、具とともに煮込むようになった。

日本で「ウドン」の名が普及したのは室町時代。

「饂飩」の字があてられた。

圓爾(えんに)が開いた博多の承天寺には、「饂飩蕎麦発祥の地」という石碑が立っていたのを思い出す。

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今の切り麺製法になったウドンは鎌倉時代末期頃と書かれている書物が多いところをみると、まだこの頃は具を包んだワンタン状のものだったということだろうか。


[長浜ラーメン 伸香(日田市)]

やがて切り麺製法により比較的容易に作れるようになると、麺料理の主流はウドンになっていったようである。

(* ^^ *)

まぁ、少し話がそれたようで、元に戻すとしよう。

( ^ ^ ;)

小麦粉を練る時には塩分が必要なのはご存知だろう。

小麦粉の麺状を保ち適度な食感を作るグルテン形成の為には塩分は必要不可欠なのである。

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宋の時代、塩と併用するように鹹水が使われ出した。



[成・栄(別府市)]

中国北部の水はアルカリ性の度合いが強く、南に下るほど酸性度が強くなるらしい。

北部の麺はほどよい発色と特有の香り、粘り気があったというから当然アルカリ性の水で練られていたのだろう。

一方、南部で作られる麺には風味も乏しく酸敗もしやすかったらしい。

《麺の誕生・歴史に想いを馳せるVol.4に続く》
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